大先輩が亡くなって感じたこと
2015年12月8日
ミキサーの大先輩である黒田勝也氏が亡くなりました。
黒田さんにはレコーディングエンジニアという呼び方よりもミキサーのほうがしっくりくるでしょう。
あえて敬意を込めてミキサーと呼ばせていただきます。
この夏まで現役で仕事をされていたようです。
72歳でした。
私の生まれる前からミキサーとして数々のレコードに携わってきた黒田さん。
先輩なんていう言葉では言い表せないくらいの先駆者です。
黒田さんに直接教わった事を少し紹介します。
弦のイコライジングの事。
録りで16K以上をシェルビングでフルテン、さらにミックスでも同じくフルテン。
正直びっくりしました。
それであの演歌や歌謡曲の弦の音になるんですよね。
「弦は倍音楽器だからハイ持ち上げればいいんだよ」と笑いながら教えてくれました。
また1176で作るドラムサウンド。
その昔どうやったらビートルズのサウンドみたいになるか皆で研究したらこんなむちゃくちゃな設定なんだよ
と 本来の音響機器の使い方の常識を無視したビートルズのサウンドに驚いたそうです。
音楽業界、特にポップスにあたっては黒田さんの世代が初代にあたります。
まだまだ大先輩の方々が現役で活躍されています。
イギリスやアメリカの音楽やサウンドを模倣し、成長をしてきた日本の音楽業界。
その一端に黒田さんのような第一世代のミキサー達がいたのですね。
今でも日本の昔の歌謡曲や演歌の音はすごいと感じます。
絶対に真似できません。
もちろんミュージシャンの音や演奏も大きいのですが、当時の一発本番の緊張感から生まれてきた数々の名作には
今の時代には作れない存在感があります。
黒田さんはいつも笑っていて現場は和やかなムードでした。
親ほど年の離れた駆け出しの自分にも仕事を任せてくれたり
マイクのチョイスなどもさせてくれたりと、お父さんのような存在だったと感じます。
天国にはレコーディングスタジオなんて無いでしょうから
きっとすぐに生まれ変わってスタジオに戻ってくるような気がします。
ProToolsが使えればレコーディングエンジニアを名乗れるなんて笑われますね。
機材ばかり便利になっても全然腕がダメじゃないか
と言われないようにしたいと思います。
胸を張ってミキサーを名乗れるように。