レコーディングエンジニアの仕事ブログ

レコーディングの事、音楽の事、DAW.DTMの事など適当に書きます

偉大なる音楽プロデューサー 佐久間正英さんの事

2014年1月16日 
音楽プロデューサーの佐久間正英さんが亡くなった。

その事はTwitterで知った。

佐久間さんが癌で闘病中であった事は知っていたし
最近の活動のことも少し気にしてチェックするようにはしていた。

佐久間さんがどんなにすごい仕事をしてきたかなどは私がここで書くまでも無い。

私は特に佐久間さんと親しかったとか、よく一緒に仕事をしたというわけではないが少なからず接点はあった。

今回は少し私が感じた佐久間さんの プロデュース というものについて書こうと思う。


1998年某日
私がアシスタントエンジニアとして佐久間さんと仕事をしたのは これが最初だった。
くるり デビュー曲「東京」のレコーディングだった。

録音スタジオは今は無き河口湖スタジオ。
レコーディングエンジニアはトム・デュラック。

このレコーディングで一番印象的だったのは佐久間さんのディレクションだった。

リズム録りの時に岸田君がギターを弾きながら歌った仮歌
この仮歌がすごく良かったのだ。

もちろん荒い部分はある、後で歌だけダビングをし、何度かトライしてみたのだが結局、仮歌が本採用となった。
最終OKを出したのは、もちろん佐久間さんだ。

多少荒くてもいい感じ という感覚を大事にし、またそのニュアンスをスタッフで共有する事を佐久間さんは大事にしていた。

この いい感じ というのは音楽ではすごく大切でどんなものなのかは言葉には表すことはできないと思う。

こういったニュアンスを大事にする佐久間さんのスタイルや意思は、くるりが今でもしっかり受け継いでいると思う。

つまり何が言いたいかというと
それまでの私が目にした音楽プロデューサーという人たちは
アレンジャーだったり、アーティストの場合が多かった。

誤解を恐れずに書くと
誰かの作品を模倣する か 自分色に染める かのどちらかだった。
酷いものだとスタジオミュージシャンの演奏をお手本にギターソロまでバンドに完コピさせるなんていう"プロデュース"もあったほどだ。

そんな中、くるり以外での仕事でも佐久間さんのプロデュースは違った。

まずは本人のやりたいようにやらせてみて、行き詰ったり問題が出た時に解決策やアイデアを提示する、助け舟を出す。
その結果アーティストやバンドの良いところを輝かせる結果に繋がっていく。

そう、つまりは親の立場とおなじだ。

バンドやアーティストの成長を促し 究極は佐久間さん不在でも作品を作っていけるような指導をする。
佐久間さんのプロデュースはそんなスタイルだった。

また近年は 音楽制作のスタイルの変化に危惧を感じ
本当の楽器の音や機材の音、録音とは何か?といった次の世代へ伝えたい事をレクチャーするような活動を行っていた。

今考えると私の仕事についての考え方やスタイルに佐久間さんの影響があるなあ と感じる。

佐久間さんがこの世からいなくなってしまった事は悲しい事だと思うけれど
きっと佐久間さんの意思やスタイルは多くのバンドやミュージシャン、アーティスト、スタッフに受け継がれているはずだ。
もちろん多くの音楽作品にも刻まれている。

私も今後の人生できっと佐久間さんの意思を感じる事があるだろう。
すこし迷いそうになったときに佐久間さんの仕事を思い出してみたいと思う。


最後に ありきたりの言葉ですが
佐久間さん ほんの少しでしたがあなたの仕事を拝見できて本当に良かったと思います。
ありがとうございました。